同志社女子大ストーカー殺人事件
事件概要

2012年9月21日午前0時頃、京都府京都市左京区の路上で、近くに住む同志社女子大職員 荒川孝二さん(当時36歳)が倒れているのを、京都府警下鴨署員が発見した。
荒川さんは病院に搬送されたが、胸に数ヶ所刺し傷があり、間も無く死亡が確認された。

殺害された同志社女子大職員 荒川孝二さん(当時36歳)

 

京都府警によると午前8時前に、荒川さんと見られる男性から110番通報があり、「変な人が包丁を持っている」と話した後に、うめき声に変わったといい、署員が駆けつけたところ、路上で仰向けに倒れている荒川さんを発見した。
荒川さんは胸に数ヶ所の刺し傷と、顔にも切られたような傷があった。
京都府警下鴨署捜査本部は9月29日、殺人容疑で同志社女子大教育・研究推進センター次長 天野祐一(当時59歳)を逮捕した。
天野は容疑を認めている。

犯人の同志社女子大教育・研究推進センター次長 天野祐一(当時59歳)

 

府警捜査本部によると、天野は以前から同僚の女性職員(当時51歳)に無言電話などのストーカー行為を行っており、9月からは女性の自宅付近で待ち伏せするなど、ストーカー行為がエスカレートした為、女性は同僚である荒川さんに相談していた。
事件の数日前に、天野と荒川さん、女性の3人で天野のストーカー行為について話し合いをしていた。
天野は女性との間に入った荒川さんに恨みを持っていたと見られている。
学校側は女性と天野とのストーカートラブルについて、把握していなかった。

 

 

背景

・事件までの経緯
天野と女性はお互いに家庭がありながら、2008年頃より交際していたが、天野が女性の携帯電話を勝手に見た事によって、女性は別れを意識する。
2011年3月頃、女性から天野に別れ話を切り出す。
しかし諦めきれない天野は、執拗にストーカー行為を繰り返すようになる。
そのストーカー行為は、女性の自宅付近に天野の車がある、夜中に自宅のチャイムが鳴る、たびたび携帯電話に非通知や公衆電話から着信がある、遠出した際に天野の姿を見かけるなどで、女性が天野にストーカー行為について問いただすと、天野は全て自分がやったと認めていた。
そして天野は探偵を雇い、女性の行動を逐一監視させ報告させるようになる。
そして探偵からの報告で、荒川さんと女性がいた事を報告され天野の嫉妬心に火がついてしまった。
女性の相談を受けた荒川さんは、天野からのストーカー行為に対して話し合いの席に同席する。
天野は女性を荒川さんに取られたと思い、殺すしかないと考える。
事件前夜には荒川さんの自宅車庫の車に、コンクリートブロックが投げつけられ、荒川さんは警察に被害届を出しており、天野と見られる男が車で通り掛かり「警察呼んだだろ」と因縁を付けている。
翌日、天野はタクシーにて荒川さんの自宅に行き、帰宅を待ち伏せし、自宅前に到着した天野さんの胸を包丁で数回刺し、タクシーを使用して逃走した。 天野は事件翌日も通常通り学校に出勤しており、事件の議題になった部課長会にも出席しており、他の同僚職員と事件について雑談していた。
荒川さんと天野は業務上の接点はほとんどなく、天野のストーカー行為について学校側は把握していなかった。

犯行が行われた京都市左京区の荒川さん宅付近

 

 

・被害者と加害者の関係
天野は青山学院大学卒業後、当時の文部省に入省している、いわゆる官僚であった。
その後は、山形大学の総務部長を経て、2004年に現在の同志社女子大に勤務していた。
家族はいるが、単身で京都市伏見区のマンションで暮らしていた。
荒川さんも別の企業より、同志社女子大に転職していたが、業務上での接点はほとんどなかった。

 

 

 

▪裁判
2013年4月26日、京都地裁にて判決公判が開かれ、裁判長は「被害者が帰宅したところを狙った計画的犯行だ。」として、懲役18年(求刑20年)の判決を言い渡した。
判決理由について裁判長は「殺害方法は執拗かつ残忍で、強固な殺意が認められる。」と指摘し、元交際相手の女性への執着心から、女性と荒川さんを引き離そうと犯行に及んだ事を挙げ「動機は短略的で自己中心的だ。」と指摘した。